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① 正しさを手放す
家の近所の結構自然豊かな公園が好きで、朝散歩コースにしている。
また、その公園には鴨が10数匹程度暮らしており、鯉がいるきれいな池がある。
よりによって、そこで、宴会でもしたかのようなゴミ、コンビニのプラスチックバッグだったり、たばこの吸い殻だったり、アルコール飲料の空きアルミ缶だったり、そんなものが
きれいだったはずの公園に落ちているとひどく残念な気分になる。
また、よりによって、公園の生き物に、えさをやっている人残念な人が(それも家族連れだったりして)いる。
そんな残念なことを、ここで書くことは必要ないことだし、思い出すことすら不要なものだ。
結構、自分はこういったきれいな場所を汚す人を許せない性質だと思っていて、これは正義感のようなものだと思っていた。
グッドバイブスは、こういった「正しさ」を手放すように教えてくれる。
「自分の価値観のうち、誰かを嫌いと感じたり、憎く思ったりする部分があり、それが自分に負の感情をもたらしているなら、きっと正しくないし、いまの自分には必要ないものだ!」
まず、自分が、こういった公共のきれいな場所を大切に思う気持ちは、そのまま大事にしよう。大事にする気持ちは、素晴らしいものだということは捨てる必要はない。
といって、きれいな公園を散らかす人に注意したい、行動を改めさせたいという価値観は、自分には必要ない。
人の行動を改めさせることができないから。自分に行動を改めるよう伝える能力があったとしても、散らかす人は、そのようなことを受け入れる能力があるとは思えないから。
自分にできることは、これが軽犯罪であるのだと思って、警察に通報するとか、公園の管理者に連絡するということであって、自分の正義感で、自分を苦しめることじゃない。
犯罪者であっても社会にいることは、それはそれでグッドバイブスなんだろう。そういう人がいること自体はやむをえない。そのために、法律や、ルールがあるのだし。
また、多分、知らないだけなのだと思うのだが、子供に、生き物にえさを挙げさせている光景を写真に収めている家族連れについては、犯罪者ではないのだから、
自分がうまく伝えられたらいいのかもしれない。ただ、それが自分の正義感だとか、その人の無知を啓くという姿勢である限り、やめたほうがいいのだろうと思う。
その価値観は、自分を苦しめる価値観だから。
その正義感に基づくのではなく、単に、本人に伝えられるかどうかだけ、で考えたらいいのではないか。生き物にえさをやっている人にうまく伝えるためには、
公園の管理者という立場があったほうがいいだろうし、管理者ではないなら、公園のサポーターという立場があったほうが、その人に
うまく伝えられるだろう。正義感から注意をするのではなく、公園をきれいに保ちたいということだけを大事に思えばいい。
・ どれだけコミュニケーションを遮断しても、家庭や職場、その他のあらゆる場面で、自分が外様とみなした人との関わりをゼロにすることはできない。そのたびに、心に大きなストレスを抱えることになる。
社会にはこういった軽犯罪や、公園のルールを守らないような人はいるし、その程度の話はどこに行っても発生する。
幸運にして、仕事場や家庭ではそういうことは発生しないことのほうが多いが、むしろ自分の正義感は増長を始めてしまう。