「いまは何かがなくなることはありません。どうか、冷静に対応してださい」
要は、
「新型コロナウイルスがもたらす未来への恐怖感を、ある行動には適用して、ある行動には適用しないようにする」
ここでは、政府の緊急事態宣言の延長云々には触れないことにするけど、 恐怖感を与えることで、人の行動を強制するというのは、 一見、人を動かしたい側の人間からすれば、 とても便利な手法に見える、けど、その恐怖に正しく向き合うというのは結構高度な話。
ある人は、「正しくこわがる」という言い方をしているが、 正しくないこわがり方をしている人と、ずれが生じたとき、 自分のこわがり方が正しくて、そうでないこわがり方をする人は正しくない、 というような、バイアスを生じさせている面もある。
「危機感を強くもつ側と、足りないと批難された側とは、大きく分離、分断される」
本当。分断は、需要なテーマ。
「私は本当に、危機感なしには現状に対して最善の行動を選択できないのか?」 「恐れや不安を抱かなければ、この状況に対応することはできないのか?」
もちろん、答えは「NO!」です。
危機感があろうがなかろうが、怖がろうが、そうでなかろうが。感染リスクを低減する行動をすればいいわけで。
感染リスクを低減することができるかどうか、それだけの話。
恐怖や不安とはサヨナラして、 個人としては、感染リスクを低減し、自分の家族の生活を守るため、自分のできる仕事をちゃんとする。という現実とだけ、向き合っていようと思う。