フリーライティング

いろいろな人がフリーライティングを勧めています。特に作家さんが行っているフリーライティングは、読んだことがある人もいると思います。フリーライティングは、朝起きぬけに行うと、体を仕事モードに変えていく助走やウォーミングアップのような効果もありますし、また、頭の中に漂っている思念を捕まえて、文字として定着させることで、脳内を整理するという感じを与える効果もあります。また、文章を文章として書くというよりも、センテンスや、ワードを一個づつ書いていく感じが、今、ここに集中する感じあを与えてくれ、瞑想のような精神統一や、気持ちを整理するという効果もある感じがします。

文章を書くことは、とても個人的な行為な気がしますが、その文字は、記録され、伝搬されることで社会的な状態に置かれます。 社会的な状態におかれると、神話のように、解釈がいろいろに広がり、人々の心に影響を与えるものとなります。 文章とは本質的にはそういうものなのだと思います。

しかし、それは文章の本質的な意味ではあるものの、それが記録や、伝搬という価値に見るのではないでしょう。

たとえば、ワークアウト(筋トレ)について、本質的には身体を鍛えるということは、魅力を向上させたり、危険を回避したり、パフォーマンスを上げるという価値があるでしょう。しかし、それだけではなく、鍛えるということ自体が魅力的な行為だったりします。

目的を見失っているといわれるかもしれないのですが。

しかし、ワークアウトそれ自体が苦痛であれば、そもそも誰もしません。

フリーライティングをしばらく進めていると、自分のこころが、落ち着いてきます。 なかなかふわふわとしていたものが、一語一語、言葉が書かれるにしたがって、底に沈んでくるのです。 まるで、科学の実験で、液体だった物質が、化学反応により固体になり沈殿を起こすように。 文字になることによって、液体だった思念が、固体になり、液体が澄んでいきます。 もちろん、心の中は化学反応ではありません。 ただ、フリーライティングは触媒のような働きをするのだというイメージを伝えるために、このようにアナロジーを使って説明させていただきました。