言語道断と報道の道は同じ意味

高校のときの国語の授業で、漢文を勉強していたときに、「道」の解釈が問題になったことがあった。

漢文の先生が、現代語で「言う」という意味で「道」を使う用例を示しなさいという問いを出された。挙手して、何人かが的外れなことを述べた。いわく、剣道とか弓道の道がそうだとか(これは、「教え」の意味で「言う」ではない)、指導の導がそうだとか(これは「導」で「道」ではない)。

先生が答えを言おうか迷っていたぐらいのときに、僕がつい、「あっ」と僕が声を出してしまった。こういうときに、格好付けたりできないのが自分で、わかった喜びを素直すぎるように顔にも声にも出してしまう。

「報道の『道』です。」

この話は、誇らしい記憶として残っていて、その学期の成績がよかったのが、この話に関係したのではないかと、自分では思っている。当時はインターネットがなかったから、用例を検索するのもできず、唯一の用例として「報道」だけを記憶していた。

30年もたって、インターネットで検索をしてみたら、「報道」に加えて、「言語道断」が挙げられていた。誇らしい気持ちで記憶していたのにほろ苦い気持ちに上書きされたような気にもなったが、これはこれでよしとしようと思う。

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