ルールに書いていないことが何でもできるわけでもない。

前回、ルールに書いていないことはなんでもやっていいというbawbrの主張をしたものの、一つ重要な点を書き残していて、物理的(技術的)にできないことや、経済性や、倫理性、市場性の観点からできないことなど、ルールに書いていないけれども、やりたいと思っても実際にはできないことがある。わかっているルールをすべて明文化にしたとしても、未発見のルールはどうしようもない*1。例えば、絶対売れない製品を売れると信じて上市することは可能であるが、それを売ることはできない。

ルールに書いてないことは何でもやっていいと書いたけど、ルールに書いてないことは何でもできるわけでもない。

この話は実は面白く、このルールに書いてないことをルールにする発見プロセスのスピードがテクノロジーの進化によって早くなってきている。マーケットとコミュニケーションできるインターネットやクラウドのデータなどが、人工知能パラダイム変化をもたらし、ディープラーニングが一世を風靡している。ディープラーニングがあれば、ルールの明文化が不要という考え方もあるかもしれない。

とはいえ、自動発見されるルールが100%未発見の法則をあらわせているかというと、そうであるわけもないという精度の問題や、ルールを学ぶためのコスト問題と、あくまでもデータは過去のものであるという問題と、シンプルを是とする「オッカムの剃刀」の観点から出てくる問題があり、ルールを明文化することの価値は残る。

 

*1:本来、ルールといわず、法則とか原則というべきものかもしれないけど